2009年03月10日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記 total 2995 count

北沢川・松沢小学校南部支流(仮称)の探索と標高データとの照合

Written By: 川俣 晶連絡先

 北沢川支流のなれの果てか? 松沢小学校南方にある暗渠の遺構!?に書いた話は全く間違っていたようです。桜上水Confidentialさんに教えていただいた場所に行ってみたところ、まさに水路跡がありました。また、これに標高データを加味して、おおむね「かつてあったであろう流路」も大まかに推定できました。

かつてあったであろう流路 §

 黒線は世田谷線です。

 赤線が、標高データと残存する水路跡からおおまかに推定した北沢川・松沢小学校南部支流(仮称)の本来の流路です。ただし「過去のいずれかの時期にこの経路を流れていた可能性があるのではないか」という推定であり、最初からこの流路であったのかは分かりません。

かつてあったであろう流路

 ちなみに、描いた最南部の線が急に東に曲がっているのは、実際に現地を歩いて気付いた微妙な高低差からおおまかに推定したもので、確実であるかは分かりません。

現況 §

 一応、暗渠らいし場所を辿って、北沢川松原支流に合流するところまで到達できることを確認しました。ただし、下水道台帳を見る限り、必ずしも現役の排水路ではないようです。

  • A点は天ぷら屋の脇にあります。しかし、柵があって入れません。E点までは立ち入りできません。柵の中は、アスファルト舗装されています。
  • C点は道路が交差しており、ここから柵の中を見ることができます。ここからD点の少し先までは、北側の道路から柵の中をよく見ることができます。
  • D点へ南から来た道は柵で行き止まりになっています。
  • F~H点は唐突にそこだけ歩道が存在していて、典型的に歩道として整理された水路跡の形態のようです。
  • I~J点は道路中央にのみ蓋があるタイプの板暗渠のようです。(ここのみ100%暗渠のムードを堪能できます)
  • K~M点は歩道として整理された水路跡のようです。
  • M点以降、世田谷線脇を流れていた水路(北沢川松原支流ないしそれに近い流れの水路)と接近し、地上の痕跡だけで流れを把握することは難しくなっていました。おそらく、ここで水都跡は合流して終わっていると推定します。

写真 §

 C点付近より東を撮影。

C点付近より東を撮影

感想 §

 下高井戸商店街のマツキヨ前から南下する道と、松沢小学校西側から南下する道の中間領域は、十分に歩いていない盲点だという自覚がたっぷりありました。追求していない問題がいくつもあります。しかし、これほど面白い場所があったとは……。

 桜上水Confidentialさん、エキサイティングな情報をありがとうございます。

下高井戸周辺史雑記